第一話 緑肌の娘と、狼の魔女

第一話 緑肌の娘と、狼の魔女

 春も深まる魔の都オブスグンドの『西のやぐら』では、眠り女たちが広いバルコニーで手合わせや鍛錬をしており、その掛け声を遠くに聞きつつ、ルインとチェルシーはウロンダリアの地図を広げて、古代の魔王スラングロードの城、大魔城エデンガルをどこに置くべきか悩んでいた。

「国家に所属してない土地や係争中の土地も多いのだな……」

 シスラ共和国の青みがかった磁器のコーヒーカップを置きつつルインがつぶやいた。紅茶を飲んでいたチェルシーが目を向ける。

「最近、ちょっと流れが変わってきてましてね、そういう土地を『古王国連合こおうこくれんごう』が接収する宣言をしばしば出しています。ただ、中には歴史や文化の都合で自治されている地域もあり、少し問題になっていますね。ほら、アゼリアさんの都市国家ピステも、古王国連合が管理下に置こうとしているという噂があって、そこにバルドスタが出張ってきた感じだったんですよ」

「『古王国連合』か。ちらほら聞く言葉だな」

「ええ。古王国で一番古い大プロマキス帝国の首都ウロンダルに本拠地があります。古王国全ての皇族や王族、議会などがお金を出して設立したものですが、ここ百年ほどは発言力が強くなり、特に人間を優遇した政策や仕組みを作って問題になっていますね。『統一神教とういつしんきょう』という新しい宗教を作り、シェアさんの聖餐教会を邪教扱いにしたのもここだし、人間以外の種族や魔女たちを取り締まる『異端審問会いたんしんもんかい』もここに所属しています。あとは解体されたけど『退魔教会たいまきょうかい』もですね」

 ルインの目が少し険しくなった。

「私見だが、長い平和でおかしくなるのは大抵そういう組織だ。その組織は健全に運営されているのか?」

 ルインのその反応はチェルシーの想定内だったようで、チェルシーは嬉し気に話を続けた。

「お察しの通りかなり腐りまくってますし、眠り女の何人かはシェアさんのようにこの組織と対立していますよ。さらに新王国最大の国、貪欲なモーダス共和国が沢山の人と資金を投入しているという噂もあります。いずれ私たちと衝突は避けられないかもしれませんね」

「……なるほど、その辺りの詳しい資料は?」

「魔王府のものと聖王国のものと、沢山の密偵が調査した報告書があるので、いくらでも読めますよ!」

「目を通しておこう。ところで、城をどこかに置くとして、やはり町や農地の経営も必要かな?」

「エデンガル城はとても大きいですから、信用できる人々の町くらいはあったほうが良いかなと思います。人手に関してはあまり問題ないんですが、それでも負担が大きいのは良くないですし、影人かげびとの工房もできますからね」

「ふむ、なら……ここは?」

 ルインは魔の領域の南、新王国と魔の領域と、そして大ゲルギア火山帯と境界を接する、灰色に塗られた広い空白地を指さした。川と山脈に囲まれており、天然の要害の地でありながら資源も豊富そうに見えていた。

「あら趣味いいですねぇ。そこは『帰らずの地』と呼ばれていて、地図がない地域なんですよ。かつて魔王府も聖王国も、そして幾つかの国も調査団を派遣しましたが、みんな帰って来なかったんです。一番勇敢なヤイヴの部族が魔王様に申し出てこの地域に駐屯したんですけどね、三年目に全滅しました。一人だけ生き残りがいますが、その子は眠り女で美味しい料理を作っていますよ」

 チェルシーはにっこりと笑ったが、ここでルインはこれが誘導だった可能性に思い至った。

「もしかして狙っていた?」

「あっ露骨でした? その地域の詳細な地図はウロンダリア中でここにしかないのです!」

 その意図を見破られてもチェルシーはどこか得意げにしている。

「そこまで自信ありって事は、つまりここが最高という事かな?」

「私が知る限りここが一番ですね。ほぼ転移門を通じてしか来れない程に文明国とは距離があります。つまり大軍勢は差し向けられない場所ですし、自然と資源なら川に湖に森に石材に洞窟と、ほぼ何でもあるようです。でも、その恩恵はゴシュに一番還元されるべきだとも思うんですよ」

「ゴシュ? さっき話した眠り女かな?」

「そうです。ちょっと呼んできますね? なぜかご主人様と顔合わせるのを嫌がってる子なんですよ。ヤイヴという緑肌の小柄な人たちで……自分が人ではない、要は人間たちが言う亜人族だからって気にしてるみたいです」

「おれはそんな事を気にしなのだがな」

「ですよねぇ? ちょっと呼んできますね!」

 しかしチェルシーはなかなか戻ってこなかった。しばらくして煮え切らない押し問答と、チェルシーの声が何度も繰り返されつつ近づいてきた。

「ほら、しっかり! みんなの仇や死の謎も解けないですよ?」

「わかったよ、わかったってば! でもさぁ……」

「それっ!」

 チェルシーは押し問答の相手を引っ張った。灰色の短めの髪に黄色い瞳と緑がかった肌の、小柄な給仕服姿の少女が現れた。ルインは彼女が革製のエプロンを身に着けているのに気づく。

「あああ引っ張るなってぇ!」

 ルインはすかさず気やすい挨拶をした。

「よう!」

「ふあっ⁉ チェルシー狡いぞ! もっと上の階にいるって言ってたじゃんかぁ!」

 まるで何も身につけてないかのように、緑の肌の少女は手で身体を隠そうとした。

「もー! しっかりして、裸じゃないんだし! ご主人様は変な眼でも見下した眼でも見ないしとっても安全ですってば! 噛みついたりもしませんって。そして挨拶!」

「噛みついたり……」

 緑肌の少女はおずおずと右手を上げ、小声で挨拶をした。

「よ、よう……あたいはゴシュ。その、ヤイヴっていう種族でさ……。怖がったり見下す人も多いからさ……」

「いつも美味い料理を作ってくれていたのに礼と挨拶が遅れて申し訳ない。おれはルイン、よろしく頼む。うまい飯をいつもありがとう」

 ルインの挨拶に驚いたゴシュは、チェルシーにきつく抱き着いた。

「チェルシー! あたい、なんか挨拶とか感謝とかされてるぅ!」

 チェルシーにすがったゴシュは震えておかしな事を言っていた。

「いい加減に落ち着けぇ! というか離れて! ……くっ、力強い、このっ」

 チェルシーはすがるゴシュを無理やり引きはがした。

「そんなにおれが怖いなら、無理しなくても……」

「あっ、ごめん、落ち着くから! あたい、落ち着くからさぁ、ごめんよ!」

 しかし、ゴシュはまだ震えていた。

「もー、苦しい時の『夢繋ぎ』まで遠慮しちゃうからあまり楽にならないんですよ? 少しは楽になったらいいのに」

「だってあたい、ヤイヴだぜ? 何か悪いしさ……」

「ご主人様、この子がここの料理人の一人で、眠り女もした事のある子なんですけど、お父様は魔王軍でも有名なヤイヴの上位種、バル・ヤイヴの王様だったんです。四年前に部族を率いて『帰らずの地』に駐屯して調査していたんですけれどね、一年前に謎の全滅をしたんです。この子は唯一の生き残りなんですけど、大変な苦労をして私たちの仲間になったんですよ」

「まだ体が震えちゃっててごめんよ? みんな、姿の見えない敵に殺されたんだ。その後は、野盗に捕まりかけたり人間に殺されかけたりで大変で、今でも人間が怖いんだ。あんたが怖くない人だってのは頭では分かってるんだけどさぁ、顔も合わせづらくて……」

 自分の何かを必死に御するように左腕を掴むゴシュは震えており、爪が食い込んで血が滲んでいた。相当な無理をして話している様子だった。

「おい、血が出てるぞ! 無理しなくていい!」

 しかし、ゴシュは自分の恐怖を握りつぶすように言葉を絞り出した。

「駄目だ! これはあたいからのお願いなんだ。なあ、眠り人ルインさんさぁ、『帰らずの地』に城とか構えるのも全然いいと思うんだ。父ちゃんとかみんなが調査した結果だから。ただ、殺されたみんなの謎を解いて、仇を討って欲しいんだ。あたい、何でもするからさぁ、お願いだよ!」

 恐怖と涙で、ゴシュの顔と声はボロボロだった。ルインはゆっくりと立ち上がった。

「わかった。話を詳しく聞かせてくれ」

 しかし、ここで伝声管から声が聞えた。

──チェルシーさん、ファリスさんが来ましたよ!

「聞いた事の無い声だな。あと、ファリス?」

「あっ、もう一人料理人の女の人がいるんですが、その人もすごく恥ずかしがりやで。いずれ紹介しますね。それと、頼りになる眠り女がまた一人帰ってきましたね!」

 チェルシーはそそくさと階段を降りて行った。

「あっ、チェルシー!」

 ゴシュはチェルシーの後ろ姿に心細げに声をかけた。その様子に気付いてルインが声をかける。

「とりあえず、取って食ったりひどい事はしないから、座って落ち着いてくれ。何か飲むか?」

 ルインは空いていたティーカップを出した。

「み、水でいいよ! 好きなんだ、きれいな水」

「わかった」

 ルインはエンデールの気泡の多い青ガラスのコップに、緑の草花模様の白磁の水差しの水を注いで渡した。ゴシュはそれを一気に飲み干したため、二杯目を注いで渡す。

「くぁ~、水うめぇ! ごめんよ、ちょっと落ち着いて来たよ」

「いいさ。無理しなくていい」

「ヤイヴだと問答無用で殺そうとする人間とか、特にあたいみたいなヤイヴの女だと捕まえて売り飛ばそうとしたりとか、ひどい事しようとする奴らが沢山いて、人間はすげぇ怖いんだ。あたい、ここではそういう事も覚悟して世話になったんだけど、みんなもあんたも優しいのな」

「大変だったんだな。そんな奴らは同じ人間でも、おれにとっては生きている価値のない奴らだ。心配しなくていい」

 ルインの目に一瞬だが恐ろし気な光が横切ったが、ゴシュは心強いものを感じていた。

「そうかい? でもさ、あたいなんか助けても何もいい事ねぇぞ? 人間の変態みたいに小さい女が好きってわけでもないみたいだしさ」

「城の移転先を見つけた者の功績は正しく評価されるべきだし、いつも美味い飯を作ってくれる料理人を手放さないようにする、というのは理由としては足りないか? おれは借りっぱなしは気になる方なんだ」

「物好きだなぁ。でもありがとよ。そんでさ、あたいの一族や仲間は、見えない敵に襲われて死んだんだ」

「見えない敵?」

「あたいが見たのは、見えない槍か弓矢みたいなもので穴だらけにされて死んだ仲間とか、いきなり首がなくなって死んだ仲間だとかだ。あと、すげぇおかしなものを見た……」

 ゴシュが暗い眼をして震えはじめる。

「おかしなもの?」

「仲間のさ、首がいくつも塊になって宙に浮いて草むらの中を移動しているんだ。見えない何かの胃袋の中にあるみたいに。ダギドラゴンくらいでけぇなにかだ。仲間の首を食いちぎったり、何かを飛ばす化け物だ」

「……こちら側の攻撃は?」

「ほとんど通じなかったけど、父ちゃんが魔王様から頂いた斧や剣の攻撃は当たったみたいだ。あとは全然、何も通じなかったんだよ!」

「異層の存在か……」

 どうやら城を構えるのに最適な地には何か得体の知れない化け物がいる。ルインの中に強い興味が沸き上がってきていた。ルインが何か考えるべく腕を組みかけた時、階段から人が上がって来る気配に気づいた。

「はいはいただいまっと。ちょっと落ち着きましたかー?」

 チェルシーに続いて、黒ずくめのローブにマント、とんがり帽子の女が上がって来た。女はとんがり帽子を脱ぐと、青黒い艶をした長い黒髪が流れて蠱惑的こわくてきな良い香りが漂う。

「魔女?」

 ルインの疑問にすぐには答えない濃い琥珀色の瞳は、深い魅力をたたえて親し気な光が躍っている。

「こんにちは、初めまして! 眠り人ルインさん。私はファリス。ファリス・ルシルと言います。人は私を『狼の魔女』ファリスと呼んでいます。迫害されつつある、『魔女協会』の会長でもあるわ。よろしくね?」

 ファリスは親し気に手を伸ばし、ルインは握手を返したが、ファリスはその手をすぐには離さなかった。

「おい?」

「いい手ね。優し気なようでいて力が満ち溢れているわ。まさかあのアーシェラさんの問題を解決するなんて。私も難問を抱えているのだけれど、困ったことにこの身体くらいしか差し出せるものが無いのよねぇ、この身体くらいしか。とても残念だわ。うふふ……ん~!」

 ファリスは言いながらルインの手を離すと、背伸びをするように髪をかき上げた。その手や顔の肌は、黒いローブに色を吸われたように白く、ゆったりした服の上からでも見事な均整の取れた身体の持ち主なのが良く分かるように身体を伸ばしていた。ルインはその様子に、どこか伸びやかな野生の獣を連想した。

「あらあら、噂通りいい男ねぇ。私の伸びを見ても欲望の光が少しも眼に見えないわ」

「何を?」

 ファリスはルインのこめかみにそっと触れ、ルインの目を覗き込む。妙に距離の近さのある言動が多い眠り女だとルインは感じていた。しかし、その雰囲気を破るようにチェルシーが口を開く。

「よし、ラヴナちゃん呼んで来ようかなと!」

「あっ、ごめんそれはやめて! 親しみを込めた冗談よ? やぁねぇ」

「はいはい。元気そうで何よりですよ、まったく……」

 ゴシュも呆れたように話を続けた。

「身体とか言ってるけどさ、あたい知ってるぜ? ここって『純潔の結界』が張ってあるから、ファリスさんって経験豊富そうにしてるだけだかんな」

「ちょっと待って?」

 慌てるファリス。

「くふふ……」

 口元を押さえて笑うチェルシー。

「ちょっとゴシュ? はっきりものを言うのは時と場合によるものよ? それに、魔女の純潔というものはね、それはそれは尊いものなのよ? ……そういえば、あの狼、『骨付き肉』は元気?」

「ん? ああ、元気だぜ!」

「そう? それは何よりだわ」

 ファリスは本当に優し気な笑顔を見せ、ルインはこの魔女もやはりチェルシーの選んだ眠り女なのだと腑に落ちるものを感じていた。話の詳細が分からないであろうルインにゴシュが顔を向ける。

「ファリスはさ、一度は死んじゃったあたいの大事な友達、狼の『骨付き肉』を使い魔にして身体を治してくれたんだ。あたいには、命より大事なもんを救ってもらった恩人なんだ」

「大したことじゃないわ。あんなにわんわん泣いてるし、周りは危険な人間だらけ。なにより、あんな忠節を見せる狼を死なせてはいけないもの。それだけのことよ」

 事も無げに言うファリスだが、どこかに人の良さが漂っている。

「ファリス、君の抱えている問題は何だ?」

「よくぞ聞いてくれました! 問題は二つ。一つは、異端審問会から攻撃されつつある、我が『魔女協会』の後ろ盾になって欲しいという事。そしてもう一つは我が故郷、黒き国オーンの西方にある『黒き神獣の森』を『古王国連合』が支配下におさめようとしているので、あなたに保護して欲しいのです。工人アーキタの都市国家ピステを護って下さったように、ね」

「状況は?」

「あまり良くないです。私たち魔女は情念を肯定した魔術やまじないも用いますが、邪悪な魔女は私たちとは違う存在です。なのに古王国連合は、『統一神教』を広げるための分かりやすい敵として私たちをつるし上げようとしています。善良な魔女たちが拘束されるのも時間の問題でしょうね。そして、『黒き神獣の森』は、貴重な香木や植物の産地でもあります。支配下に置いたら『古王国連合』に関わっている恥知らずな商人たちが滅茶苦茶に破壊するのは目に見えているわ。私はそれを止めたいのです」

 ファリスの眼は真剣であり、また、隠した悲痛さが覗いてもいた。その眼を見るルインにファリスは言葉を続ける。

「女の頼みごとにろくなことは無いものだわ。でも、あなたがそう思わなくて済むくらいのお返しはきっとします。私はもちろんのこと『魔女協会』も、『黒き神獣の森』の深遠な存在たちもきっと。それは今後、他の子たちの問題解決への力にもなるわ」

 沈黙が流れ、ルインは束の間腕を組んだが、すぐに笑って返した。

「今更誰かの頼みを断るって事はないさ。全て対応しよう。気楽に行かせてもらうよ」

 ファリスの整った目と口が大きく開かれた。驚いたのだろう。

「そんなあっさり……あらあら、男気溢れるお返事ね。でも私が気に入ってという動機ではなさそうなので、そうなるように頑張らせてもらうわね」

「そこはそれほど無理に頑張らなくていい」

 すかさず答えるルイン。

「ええっ⁉」

「くふふ……」

 笑うチェルシーを一瞬見やるファリス。こうして、新たな眠り人の冒険が始まる事となったが、それは大きな時代のうねりの始まりでもあった。

──黒き国オーンの神獣の森は、古代からみだりに立ち入ってはならない場所とされている。オーンでは黒は何より尊い色とされており、その色への祝福もまた、この神聖な森から始まっているとされているためである。

──狼の魔女ファリス著『黒き国オーンの歴史』より

first draft:2020.08.20

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