ケイドス城の驚愕の主
吸血鬼たちが狂える王、ヴァルキルド王の暴虐と選別から異なる世界に逃げて、どれほどの年月が経ったのか? 外つ世界の血の神への祈りが成就し、城ごと流れ着いたその地では太陽を見る事が出来なかった。
高い山々の間の谷間のようなその地は、日の出は遅く日の暮れは早く、昼間でもどんよりとして薄暗い。ただ、その光は明らかに吸血鬼たちには禁忌の日の光であり、わずかに浴びた者は火傷し、長く浴びた者は灰と化した。
吸血鬼たちはこの地の果てを探ろうと山脈を幾つか超えたが、似たような山脈が幾重も続くだけで果ては無く、血の神の持ついずこかの閉じられた領域なのではないか、という推測が主流だった。
しかしある夜。黒い雷と炎が舞い、激しい地震が起きた。朝になってみると、湖の向こう、枯れ木の林の彼方に、山脈に引けを取らない岩塊のように大きな城が横たわっている。尖塔は無く平らで、武骨で飾り気のなさ過ぎる直方体の建物とそれを取り囲む高い城壁。全てが黒くすすけており、炭のように赤熱して熾火のように燃え、火の粉を舞わせている部分もあった。

吸血鬼たちはいずこかの地獄の侯爵の城かと考え、また自分たちをこの領域に避難させた血の神オドとゆかりのある存在の城であろうかとも考え、貢物を五人の使いに持たせて挨拶に行かせる事にした。
しかし、しばらくして五人は帰ってくる。城の主は人であり、地獄の侯爵でも何でもない、吸血鬼との縁も必要ないので気遣い無用と言われた、と。黒衣の人間の、おそらく戦士であろう男がはるかに高い城壁からそう対応したと語った。
我らへの食糧か? と誰ともなくつぶやく。我らの神オドもまた、力こそすべて。これは我らへの血の神の供応では? 吸血鬼たちはしばらくぶりの人間の血が味わえるかもと、女一人を含む五人もの戦士がすぐに編成され、夜を待って謎の城へと向かった。
しかし、夜明け前に帰ってきたのは取り乱して泣き叫ぶ女の吸血鬼だった。他の四人は? と誰かが聞くと、挨拶もなく、門を通らぬ非礼をとがめられたのち、剣を抜いてその男に襲い掛かったら、皆ほぼ一瞬で焼き殺された、と。女はすぐに武器を捨てて命乞いをしたら何とか殺されずに済んだが、恐怖で小水を漏らしてしまい、それを掃除した後、風呂と服を借りて帰されたと話す。しかも、吸血鬼のわりに礼儀がなっていないと城主にお叱りを受け、それを伝えるように言われたと女は震えながら話した。
ところで、この女戦士も元々は品があって女ぶりが良い。何人かは当然の心配を口にした。何もされなかったのか、と。そんな下衆な憶測はあの方に失礼です、と女戦士。吸血鬼たちは魔眼でこの女戦士を見通すが、確かに異なる霊性の混入は見られなかった。
吸血鬼たちは混乱するが、まず面子をつぶされたのか非礼を働いた無礼を詫びるかでも意見が分かれた。大いなる血の神オドの意向も分からない。
やがて、私が行ってみよう、と名乗りを上げる者が現れた。赤みがかった髪をした吸血鬼の女戦士ヴァーサ。今回の逃避行の原因となった吸血鬼の狂いし王ヴァルキルドが、己の命を狙おうとした女に産ませた娘であり、王とは敵対関係にあったが忌み子でもあった。
「ここの仲間たちにとって、私の命は軽い。しかし役割は果たす」
ヴァーサはそう言って笑った。
──ウロンダリアにおいて名高い、吸血鬼の狂える王ヴァルキルド。彼は文化と貴族趣味に流れ過ぎた吸血鬼たちを嫌い、戦士の美学の無いものを皆殺しにして吸血鬼を刷新しようとした。これが名高き虐殺『ヴァルキルド王の選別』である。
──クロエ・クルエル著『我らの深紅の歴史』より。
夜の訪れに合わせて、ヴァーサは武器の手入れをし、戦士として、女としての身だしなみも整えては城をでた。夜の闇の中にあってもくすぶる城は不気味な熾火の赤い光を脈動させている。あれはどのような力の、どのような領域の城なのか。
ヴァーサは愛用している長短二本の両刃斧を見た。どちらも血の力を濃縮した血石と呼ばれる宝石がはめこまれている。そのあやしい赤い光と似て異なる色は、人の何かと関りがあるような気がしていた。血に宿る情念と似たような何かが。
まあいい、と呟いて歩き続けるヴァーサ。やがて大城門の前に立っては大声で名乗りを上げた。跳ね橋は意外に静かに降りてきて、ヴァーサはくすぶる城の内部の階段を上がっていく。やがて、屋上に出ると黒装束に黒い髪の静かな男が簡素な椅子に座っていた。
「礼の通った訪問者だが、用事は? こちらは特に用事がなく、歓迎する意図も無いが」と城主らしい男。
ヴァーサは同胞四人の死と、力のない礼は礼ですらないという理由を挙げて力比べを申し込む。なるほど確かに、とゆらりと立つ男。ヴァーサは問答無用で斧を叩きこまんとする。と、男とすれ違った時に、いや、すれ違うはずがないのにすれ違い、手には斧が無かった。
返すぞ、と斧を放って渡す男。ヴァーサには何が起きたのかわからない。ヴァーサは動きを変え、深く踏み込み過ぎず鋭い斬撃の技を繰り出した。しかし、行けると思った一撃は男の足でぴたりと止められていまい、反動で手がしびれる。

大変な使い手だ、とヴァーサは理解した。覚悟した一撃ほどその間を読まれるなら、あとは怒涛のような連撃しかない。人をはるかに超えた体力で刃の竜巻のように連撃を繰り出すが、それは男に全くかすりもせず、近づきすぎれば拳で手を弾かれて斧を取り落としそうになった。
「なんで? ……何でこんなに!」
ヴァーサは悔しそうに言い、己を引き絞っては攻撃を繰り返す。しかし、全く男に当たらない。
「こちらの力は十分に示し、礼を失してないと理解出来たと思うが」と男。
「黙れ!」と一喝するヴァーサ。
より力を込めて斧を繰り出す。距離を取ったヴァーサはマントを投げ捨てた。その衣装は、腹や胸元、腿の艶めかしくあやしい肌が露出している。男の目を引く一瞬で致命傷を与えるために、女の吸血鬼がたまにする装いだった。
「なるほど、悪くない礼儀だ」と呟く男。
そのわりに眉一つ動かない落ち着きがヴァーサを苛つかせるが、ヴァーサは呼吸を整えて再び嵐のような攻撃を繰り返した。
「そろそろやめてほしいところだが」と男。
「やめてほしかったら殺すなりなんなりすればいい」とヴァーサ。
「女の客を殺すなど頭のおかしい奴のする事だ」と男はかすかに笑う。
力が及ばな過ぎてヴァーサはおかしくなりそうなほど頭に来ていた。これ以上攻撃が通じなければ打つ手はない。しかし、この男は自分に危害を加えるつもりもないらしい。ヴァーサはこのように扱われる自分を許すことが出来なかった。
「もう自分が許せない! こんなに通じない自分が!」
ヴァーサの思いが口に出る。既に攻撃の精妙さはない。
「こんな攻撃に当たりたい奴はいないだろう?」
「うるさい!」
大ぶりの一撃を放とうとしたところ、鳩尾に男の掌底が当たった。それは背中に突き抜けず、全身にずっしりとした衝撃として廻る。
「今のは少し雑だったな」と男。
体が、急に砂袋になったかのように重くなった。何をした、と言いかけても声も出ない。一瞬だったが胸には触ってないぞ、と男。わかってる、という声がうまく出ず、ヴァーサは片膝をついた。吸血鬼の膂力が尽きかけている。
「吸血鬼の力も尽きる程に戦ったか、無茶をせずに帰れ」
そう男が言ったのに、ヴァーサは衣装や鎧につけていた赤い宝石、血石を外しては血の呪文を唱えた。あやしい光を放って血石は砕け、一瞬でヴァーサの全身に力がみなぎる。
「まだ!」
ヴァーサの斧は再び精妙さを取り戻して戦う。こうして、しばしの時間が流れた。
「もうすぐ夜が明けるぞ、赤髪の客人」
男は言うが、ヴァーサはもう無言で攻撃を繰り返すだけだった。こんなに自分の技量が遠く及ばないことなどあるのか、あってたまるものか、という思い。しかし、その思いをもってしても刃は全く届かない。
ふと、ヴァーサは肌に焼けるような熱を感じた。空が白み始めている。急いで仲間の元に帰らなくては、と、男から離れて城の屋上から飛ぶ。しかし、その直前に力がついに尽きた。足が自分を飛ばしてくれない。城壁を超えたところで枯れ木にぶつかり、背中から落ちて枯れ木がヴァーサの身体を貫いた。経験した事のない激痛にヴァーサは叫ぶ。しかし、その傷みとは別の灼熱の激痛が肌を襲った。日の光が出る。
ヴァーサは日の光に焼き殺されて消滅する恐怖を感じた。叫ぼうとしても声も出ない。百舌の速贄のように立ち木にくし刺しになったまま、日の光に焼かれるなどあんまりだと思った。忌み子とはいえ、こんな死に方なのかと。
目が見えなくなる。しかし、何かが空を切る気配と共に衝撃が伝わり、自分が落ちていくのが分かった。さらに、何者かが自分を受け止める。
「助けるぞ客人。頼むから暴れないでくれ」と声。
息も絶え絶えにヴァーサは返事をした。ヴァーサを抱えた何者かは素早く移動していく。やがて、ひんやりした場所に置かれた。
「このままでは吸血鬼といえど助からない。死ぬかもしれないが可能性のある賭けだ、おれの血を吸え」
ヴァーサを助けた何者か、おそらくはあの異常に強い城主の声がした。ヴァーサは死にたくない一心で相手の差し出した、おそらく腕を噛み、その血を吸う。男の血は燃えるような力に満ち、さらにヴァーサの女の部分を揺らすほどの力強さに満ちていた。そして、吸うほどに痛みが消え、疲労も抜けた。
「腹の大穴がふさがるまで吸えばいい。別におれは死なない。ただ、その後起きる事には責任は持てない。吸血鬼の分かりやすい死からは救えるだけだ」
男は呟くように言う。ヴァーサの視力は戻り、火傷も腹の大穴も急速に回復している。音がするほどの勢いでヴァーサが血を吸っている男の目は、熾火のように赤く光っていた。それは吸血鬼とはまた違う何かだった。
ヴァーサはふと、血に充足を感じて口を離す。男の目も次第に赤い光が引いて普通の目になったが、ヴァーサの全身の内側に炎がめぐるような激痛が走った。絶叫して転げまわるヴァーサ。
「お前の中にある様々な穢れが焼かれている状態だ。しかし、お前は吸血鬼にしては穢れも濁りも少なく、おそらく男とも寝た事がないようだ。なら、いずれその痛みは治まり、永らえるだろう」と。
ヴァーサは男性経験について、自分に魅力がないとか面倒な女であると誤解されないように言い返したい事もあり、強い目で男を一瞬にらんだ。しかしそんな余裕はなく転げまわる。
「勝気に過ぎる女だが、まあ生き延びられそうだな」と男。
やがて、本当にヴァーサの苦しみは治まり、荒い息をしながらも立ち上がる事が出来た。腹に開いた大穴も閉じ、力も戻っている。
「見たところ、お前はだいぶ変質したようだが……これはあくまで人助けだ、その変化についての責任を求められても無理筋だと思ってくれ」と男。
しかし、ヴァーサには男の言ってる意味が分からなかった。男は続ける。
「おそらくお前は、もう日の光に焼かれる事はない。吸血鬼の部分はあってもな」
ヴァーサは外の光が漏れる窓を見た。眩しいだけで目を焼くはずだった外の光が目を焼かず、曇り空の下の緑と山並みが見えている。その美しさに息をのんだ。
「昼の世界はこんなに美しかったのか……」と言葉を失う。
「今のお前は吸血鬼の魂で見る夜の世界の美しさと、そうではない者の見る昼の世界の美しさ、どちらも分かる存在になっている。あの光の下を歩く事もできるはずだ」と男。
ヴァーサは外の光に吸い寄せられるように歩いてバルコニーに向かい、そっと指先を日の光にあてた。暖かいだけで焼けはしない。
「何が起きたんだ?」と男を見るヴァーサ。
「お前はおれの血を吸った事により、吸血鬼の背負う因果や闇の穢れが焼け落ちたが、それでも存在が残った状態だ。それはきわめて珍しい存在になったと言える」と男。
ヴァーサは外に出た。やはり体は焼ける事がない。
「これでは私は『昼歩くもの』ではないか?」とヴァーサが問う。
──『昼歩くもの』。
何らかの理由で日の光に焼かれなくなった吸血鬼で、その多くは強烈な伝説を残す。しかしそれは、吸血鬼の中では不吉な存在ともされていた。
「吸血鬼については詳しくないから分からん」と男。
ここで、ヴァーサはこの男が自分の命の恩人である事に気付いた。昨夜からの数々の非礼。何度も突っかかったのに、自分の命の危機をあっさりと救ってくれた男に、ヴァーサは深々と頭を下げた。情けないやら感謝やら、命拾いで涙が止まらない。
「気にするな」
男はそれだけ言って笑うと、近くの棚から良さげな酒の瓶を取り出して渡す。
「おれは酒はほとんどやらないが、口に合うなら飲め。そちらの状況も聞かせてほしい」
ヴァーサは眩しい外の世界を眺めつつ、ここではない世界、人々がウロンダリアと呼ぶ地での出来事と、そこからの逃避、自分が望まれぬ経緯で生まれた忌み子であったことなどを語った。城主の男は困った顔をした。

「お前はおそらく、先ほどの吸血で仲間たちとは道をたがえている可能性が高い」
「もともと違う道だったのだろう。だから気にしないでくれ」
ヴァーサは寂し気に笑った。
「それに、あなたは私の命を拾い戻し、日の光の世界までくれた。ただ無礼を詫びたい一心だ。あなたの名前は?」
男は少し、困った顔をした。
「おれの名は、神々に消されて無いのだ」
ヴァーサは神々に恐れられて名を消されたという戦士の伝説を聞いたことがあった。この男が? と思ったが、確かに異常な静けさと強さがあり、禁忌に等しいその伝説について深く聞く事はしなかった。
「しかし、この城と、かつての主には名前がある。この城はたまに見知らぬ世界に移るらしい。今回もそれが起きたというわけだ」
ヴァーサの判断に気付いてか、男は別の情報をよこす。
「それで、私みたいな面倒な女に絡まれたというわけか。私の名はヴァーサ。疾き風を意味すると父は言っていた」
「悪くない名だ」と男。
「こちらは、荒野を旅していたらこの巨大な城が現れ、第三層の地獄ガルドラクに居を構える『兵庫公』ケイドスから面倒を頼まれてな。先払いでこの城を渡されたのだ」
「ケイドス公だと⁉ 地獄の侯爵では大物ではないか! しかも大変な執着心を持った武器の収集家だぞ? それが城一つ手放すとは、いったい何を頼まれたんだ?」
「彼の娘を救ってほしいそうだ」
「あの武具狂いに娘がいたのか?」
「一度だけ、大変に見事な太腿を持った蛮族の女戦士を見初め、正しくはないやり方で誑かして関係を持ったらしい。しかし、その娘は彼の美的感覚の傑作なのだそうだ。それが、『好色公』ツァルゴに見初められ、ツァルゴの口車に乗って闘技会に出ているらしい。それを救ってほしいのだと」
ヴァーサの表情は驚きと呆れの混じった複雑なものだった。しかし、その表情が面白かったのか、男はふと笑う。ヴァーサは気づいて真面目な話をしようと考えた。
「少し呆れただけだ。それにしても嫌な名前だ。ツァルゴは良くないな。あの好色公は誇り高い女を絡めとって堕とすのを無上の喜びとしている気色の悪い奴だと聞く。しかしケイドス公も何をしているんだ」
「地獄の侯爵のする事を理解する必要はなかろうよ」
「確かに」
二人は笑う。やがて、ヴァーサは薄曇りの景色を見回しては男に向き合った。
「ところで、私は『昼歩くもの』になってしまった。仲間たちにとってはもともと忌み子だ。彼らに別れを告げてきたい。ここまで面倒と世話をかけて申し訳ないが、この城が様々な領域を移動するというなら、私が行くべき地を見つけたらそこに置いてくれないだろうか?」
「それは別に構わないが、それならむしろ手伝って欲しい事がある」
「なんだ? 私に女の仕事でもさせる気か?」
気安く出た軽口。ヴァーサはしかし、言ってから自分が妙にこの男に気安くなっている事に気付いた。いつの間にか他人のようには感じられなくなっている。それが、自分を再生させたこの男の血のせいだと気付いた。この男の血の力が自分の中を奔流のように駆け巡っており、力に満ちると同時に、自分の何かを揺らされている感覚がある。
男にはわずかに驚いた気配があった。
「血を吸い過ぎて少しおかしくなっているようだ。変な事を言ったな」
ヴァーサは慌てて言い添える。
「吸血鬼が特定の相手の血を吸い過ぎると相手を身近に感じるとは聞いた事がある。気にするな」
「色々と知っているのだな。ありがとう」
ヴァーサは大穴が開いて白い腹と背中が見える服のまま、埃をはたいては仲間の城に向かった。
──我ら吸血鬼たちを世に送り出したとされる血の神オドの姿は、波打つ血の大海であるとも、巨大な海鼠のようであるとも、血の巨人であるとも、あるいは白面の貴公子のようであるとも言われ、その姿は定かではない。
──クロエ・クルエル著『我らの真紅の歴史』より。
昼の光の中、見るものすべてが新鮮で、ヴァーサは何度も足を止めつつ拠点の城に戻った。窓が極端に少なく、開口部が全て小さい特徴を持つこの城は、最初から純粋な吸血鬼の為に建てられたものだ。しかし今となっては広い窓で外を眺められる城のほうが好きだとヴァーサは考えていた。。
重い扉を開け、闇の中に進んでは扉を閉めると、各所から仲間の気配が漂い、吹き抜けの上から声がする。いつしかこの集団の代表になっていた吸血鬼、ダルダント侯爵の声だった。
「何が起きて『昼歩くもの』と化した?」
ヴァーサはこれまでに起きた事と、ここで仲間と別れていずこかへと旅立つことを伝えた。
「確かにそなたは我々とは違う存在になってしまったようだ。ここで道が分かれてしまったのかもしれん。止める道理はない。そして、我らの道はより細くなってしまったが、もはや仕方あるまい。そなたの旅の幸運を祈る」
全員が闇の中で同胞への一例をした。ヴァーサもまた礼を返す。
しかし、その静寂を女の声が破った。
「ヴァーサ、私も同行したい。あの方の元に行くのでしょう?」
「ミラボー、あなたもそれを望むの?」
それは最初の無礼な訪問者たちのうち、一人だけ生きて帰ってきた吸血鬼の女だった。その名をミラボーという。
「これはまた、かの城の御仁はずいぶんと男ぶりの良い事だ。しかしこれでは我々は反抗も難しくなっていくな。我が故郷、ウロンダリアにはもう戻る事叶わぬのか……」
ダルダント侯爵の赤い目の輝きが落ちた。しかしその時、赤い光が城の窓という窓からさし込み、その光は吸血鬼たちの活性を大いに高めた。さらに声が響く。
──出るが良い、我が子らよ。偽りの日の光は隠し、純粋なる血の光のみが満ちている。我が祝福を浴びよ!
吸血鬼たちはその声が何者の声であるかを本能的に理解していた。自分たちを作った血の神オドのものだった。
誰ともなく外に出る。温かに力をみなぎらせる鮮血のような光の中、外に出ると、そこには波打つ血の巨人が立ち、鮮血の色の光はその頭から放たれている。その輝きはやがてつぼみのように膨らみ、無数の触手の蠢く花のようにも、あるいは海星を逆さにしたようにも見える奇妙な姿となった。

「我らの父、オド! 偉大なる血の神よ!」
吸血鬼たちはひざまずいて平伏する。
──余は我が娘マリスを永遠の地に送ったが、運命の女神はあれを良い糸とはみなさず、新たなる良い糸が必要であった。此度は暗く赤い、良い糸が織り込まれた。
血の巨人の頭の位置にある花の中心に、さらに純度の高い血の光を宿す小さなものが現れた。その光源がゆっくりとヴァーサの前に降りてくる。
──ヴァーサにわが使徒の証、純粋血石を与える。取るが良い。
ヴァーサは目の前に降りてきたハート形の赤い宝石を手にした。脈動して温かく、信じ難いほど美しい赤色をしている。
──ダルダント卿。
「はっ!」
──純粋血石を持つヴァーサの信頼ある限り、お前たちはさらに死に難く、時の干渉を受けぬ存在となる。しかし、ヴァルキルドとは戦うな。奴の別の娘もまた大事な糸なのだ。故に時を待て。その間、余はわが血の領域ハゾン・ハダムに隠されたシルヴァルの都をお前たちに任せる。各世界の行き場を無くした者どもを受け入れるのだ。ひそかにウロンダリアにも行き来できるようにしよう。
「承服いたしました! わが父なる神よ」
──ミラボーよ。
「はい!」
──そなたはヴァーサの側に仕えて世話をせよ。ヴァーサはあの男とのかかわりが深くなる。そこに、そなたとあの男の関りも少しは生まれよう。
「有難き幸せ。わが父なる神」
──そして、首尾を果たした我が使徒ヴァーサよ。
「……はい」
──そなたとあの男との関りは、お前が考えている以上に我ら血の眷族には重要なものだ。それを忘れるな。
不気味な血の巨人は全員を見下ろすような間があった。
──あとはヴァーサの判断に従うが良い。
赤い霧が立ち込め、消える。吸血鬼たちが頭を上げると、薄曇りの景色は夜になっていた。誰かが驚きの声を上げる。
背後に、自分たちが転移して来た城。そのさらに背後に灰色の壮麗な都が現れていた。
「わが父なる神の言っていたシルヴァルの都とは、これか。何と美しいのだ……」
ダルダントが絶句し、やがてヴァーサに向き直った。
「ではヴァーサ、いや、ヴァーサ姫、最初の下知と判断を頼む」
ヴァーサはダルダントにシルヴァルの都の管理と拠点としての整備を提案し、自分はあの城の主の頼みごとを聞きに行く、という話をした。ミラボーも連れていく、とも。
ダルダント卿は静かに頷いた。
ヴァーサとミラボーは再び、武骨に過ぎる兵庫公ケイドスの城へと向かった。階段を何層か上がると呆れるほどに広い階にたどり着き、ぽつりと置かれた大きな机であの男が武器をいじっている。男はゆっくりと顔を上げた。
「ヴァーサと、あとは見覚えがあるが」
「ミラボーです。あの無礼の際はとてもご面倒をおかけし、その後受けた恩は忘れ難いもの。このまま関わりなく思慕に変わって後悔するより、こうして改めて御顔を見てお話をしたく参りました」
ミラボーは全く好意を隠しておらず、ヴァーサは驚いた。
「礼儀を通しただけだ。気にしなくていい」
名を消された男の言葉に、ミラボーは嬉しそうな様子を隠さなかった。ヴァーサは小さな咳をして仕切り直す。
「それで、私に頼みとは」
「ツァルゴの闘技会に出て勝ち抜き、ケイドス公の娘ジナがツァルゴの手に落ちないようにする手伝いをしてもらいたい。あれは、男名義では参加できないからな」
「面白そうだな、いいだろう」
ヴァーサは得意げに腕を組んだ。
「あの、私もお手伝いしたいのですが……」
ミラボーもおずおずと手を上げる。
「いいだろう。付き人をしてもらおう」
「光栄な事です。ありがとうございます!」
こうして、兵庫公ケイドスから面倒な仕事と共に巨大な武器庫をもらった男、『名を消されし者』と、二丁の戦斧を操る赤髪の吸血鬼ヴァーサは奇妙な出会いを果たした。より奇妙な地獄の闘技会の前日のこの出会いは、のちに長きにわたってウロンダリアの吸血鬼の歴史に関わるものだった。それを知るのはまだ、血の神オドと、運命の女神バゼリナだけだった。
──普遍地獄全十層のうち、第三層ガルドラクは多くの地獄の王や侯爵の領域が混在している信じがたいほど豪華で華美で、かつ腐敗と残酷に満ちた美しい地であるとされている。この地の人間とは彼らの娯楽に過ぎず、人間をそのように扱う事で神々をあざ笑っているのだ。
──ジョン・モートン著『普遍地獄界』より。
初稿2026.06.20


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