第十一話 災いの予感・後編
南方新王国と古王国間の線路上、機関車『鉄の駿馬』特等客室。
鈍色の肌に二重に響く声、瞳には不思議な幾何学模様があり人間離れした『前期工人』と呼ばれる種族にして、アゼリアの大叔父にあたる男ゲネンと、だいぶ人間らしい見た目をした『後期工人』と呼ばれるアゼリア。そして眠り人ルイン。
この三人の密談は夜遅くまで続いていた。

「なるほど、ゲネン殿はこの『鉄の駿馬』の開発と運行の責任者だそうだが、これだけでも大変な技術だ」
ルインのこの言葉にゲネンとアゼリアが顔を見合わせ、互いに何かを確認し合った後にルインに向き直った。
「お兄さん、私たちの技術は本当はこんなものではないのよ。私たちの祖たる『偉大なるエンギネア』と呼ばれる人々は、かつて星々を閉じ込めた大きな船で旅していたとされてて、その頃の私たちには距離も時間もあまり意味をなさなかったと言われているの。この『鉄の駿馬』は今のウロンダリアの文化や平穏を乱さない技術として聖国に認められたから形にしているけれど、本当はもっとずっと早く人や荷物を届けられる技術も沢山あるのよ。そんな技術の秘密を私たちは受け継いでいる。だから、今回のようなことは起きてはならないの」
いつもの明るさは全くない真剣な面持ちで話すアゼリアの言葉は、その内容に含まれた情報の大きさよりも、この状況のまずさを強く伝える力があった。ゲネンも強く頷く。
「私たちが自分でこの件を何とかできなければ、我ら工人の都市国家の自治は認められなくなる可能性がある。つまり聖国や古王国連合の管理下に入る事を意味するが、それは我らの秘密が守られず、このウロンダリアに大きな混乱をもたらしてしまう可能性がある。それは我々がなんとしても避けたい事なのだ」
「ごめんねお兄さん、こんな重い話だけど、他に方法が無くて」
「別にその点は問題ではない。ただ、おれが介入する事の正当性はどこにある? それほどに自由な意思で介入しても良いものか? いや、おれは理由には別に困らないが、大義名分のような何かが必要ではないのかと思ってな」
ルインのこの言葉に、ゲネンが驚いてアゼリアを見た。
「うむ? 大事な部分を話していないのか?」
「ごめんなさい大叔父、お兄さんの気が良いからついつい言いそびれちゃって。えーと……」
アゼリアはルインのほうを向くと明らかに分かるほどに赤面した。ルインにはその意味が測りかねている。
「お兄さんが私を気に入ってくれて動いてくれたって筋書きで、だから私はお兄さんに私たちの技術や秘密を提供できるって事なの。セレッサさんが言ってた側仕えみたいなものね」
「おれはそんな代価は求めない。だから何も気にしなくていい」
「わかるよ! もうわかる。お兄さんはそういう人。でも、世間への形は大事。だから覚悟は示したんだけどね。なんかこう、覚悟を示すよりもこっちのが恥ずかしくて言いづらいんだなぁ、私には」
アゼリアは顔を伏せたが、隠れていない耳は真っ赤で、このような話は苦手と思われた。反応に困るルインにゲネンがため息をつく。
「我らは男女ともにこういう事に疎い。だから絶滅しかけたのだが、アゼリアは後期工人ゆえ我らより人に近く、こういった話ができる分大変に恥じらいを感じる面があるのだ。だがそれは、よこしまな面もほぼない性分である事も意味している。ここまでせねばならぬほどに、この事柄は我らとウロンダリアの未来に関わる事なのだ」
「理解している。そして請け負う。だからあまり気にしないでもらいたい」
ルインはどこまでも冷静だった。
──ウロンダリアの長い歴史の中でも、工人たちの自治がこれほど長く続いているのは驚異的な事である。しかし、工人の歴史を丁寧に調べた者たちからは、彼らが意外にも政治的な調整には長けていたらしい痕跡が窺い知れるという。
──カイラム・ジンシ著『工人とその歴史』より。
未明。南方新王国の『炭鉱の町』ローンサを遠くに見下ろす岩の多い丘。
夜空の闇から暗い影が降り立ち、赤いドレスを着た女の姿となった。ぼんやりと光る赤い目とその姿は魔の都では知らぬ者がいないとされる淑女、上位魔族の鳥の姫ティアーリアだった。
ティアーリアは肩をほぐしては首を回し、一息つく。ごつごつとした大岩の立ち並ぶ丘には目立たぬように無数のテントや篝火があり、無地の帆布を蝋で処理したそれらは南方新王国の軍隊や傭兵団がよく用いているものだった。しかし、その所属を示す国旗や印章の染め抜きはばらばらで、野盗そのもの、または野盗と変わらない寄せ集めの傭兵団のように見えている。普通なら、見目好い女が近寄ってはならないような集団だった。
ティアーリアはそれらに目を凝らす。野盗と変わらないような下卑た男たちもいるが、不寝番の歩哨たちの顔や様子は正規兵に近く整っており、そのような兵士たちは無銘でも悪くない革鎧を身に着けていた。ひときわ大きい天幕の中にいる者たちには長銃を背負っている者もおり、並んでいる武器も南方新王国のこのような集団には似つかわしくないほど良い物だった。何より、士気が高い。
ティアーリアは微笑むと、人の耳には聞こえずとも心には届く、安らかな眠りの歌を唄い始めた。やがて、それまで整っていた篝火の火が消え入りそうなもの、大きくなるものとばらばらになり、動くものの姿は何も見えなくなった。ティアーリアは悠々と歩いては大きな天幕を覗き見る。
大きなテーブルには南方新王国から工人の都市国家ピステに至るまでの『鉄の駿馬』の沿線の地図と、炭鉱の町ローンサの防備がよく分かる見取り図が広げられていた。しかし、よくできたそれらには発行元を意味する手掛かりは何もない。
それでも、長い時を生きているティアーリアはこのような国家の隠蔽の手法にもよく通じていた。大きな椅子にもたれかかっていびきをかいている、頭目らしい男のごつい指に、妙に新しく大きな指輪があるのを見つける。ティアーリアは自分の長い髪の中から暗い赤色の羽根を取り出して振り、闇のような粉が拡散しては消え、天幕の中の男たちの眠りはより一層深くなった。
ティアーリアはいびきの大きくなった頭目らしい男の手を取る。その太い指にはまっている大きな指輪は、印章用の指輪で『竜の頭を刺す剣』の紋章が刻まれていた。これは、強大な八つの古王国の中でも特に勇猛なバルドスタ戦教国の印章であり、この大国の関与の重大な証拠となりえた。

「見つけたわ。さてと」
印章指輪をそっと抜き取ったティアーリアは、さらに周囲を見回してうっすらと魔力の漂う頑丈な鎧箱や武器箱を見つけた。よく見れば錠のあたりに陰刻された『竜の頭を刺す剣』の紋章が彫ってある。この意味に気付いたティアーリアはにんまりと笑って陰刻に指輪をはめ込んだ。案の定ぴったりで、さらに錠の外れる音がする。
一つめの箱には、薄緑色をした上質な蔦紙(※古王国で主に用いられる、ある種の蔦から作られる上質な紙)を丸めたものがたくさん入っており、バルドスタ戦教国からの作戦指示書だった。二つめの箱は戦教国の正規軍の指揮官用の甲冑一式。そして三つめの大きな箱には、正規軍用の紋章の刻まれた長銃や剣など、おそらく指揮官用の良い武器が収められている。
「あの人、確か武器が好きなのよね」
長銃と長剣、短剣をそれぞれ物色し、良さそうなものを幾つか選び抜いてはそっとそれらの箱を閉じると、指輪を眠っている男の指に戻し、素早く仕事を終えたティアーリアは夜の闇の中へと飛び立ち、あとには不規則に燃える篝火と男たちのいびきが響いていた。
──ウロンダリアの銃は聖国と古王国連合による規制が厳しく、使用できる火薬や機構が厳しく制限されている。その理由は『緩やかなる時の流れ』の維持と、精霊や竜たちが銃を嫌うからとされている。
──ヨン・ブローン著『ウロンダリアの銃』より。
時は未明、機関車『鉄の駿馬』のルインの客室。
工人の都市に関しての情報の交換や打ち合わせを終えたルインは、夜明けもそう遠くない時間に自分の部屋へと戻った。柔らかな灯火の中、妙に大きく分厚い本を開いていたラヴナが顔を上げる。
「終わったのね? お疲れ様。夜明けまでそう遠くない時間になってしまったけど、今日は一日中『鉄の駿馬』での移動になるから、昼間もゆっくり寝てたらいいわ」
「寝る? ……ああ、そうだったな」
ルインはこの後の工人の都市国家での想定外の事態に心身が反応してか、眠る事そのものが頭から抜けている妙な感覚に気付いた。自分にそんな言葉をかけるラヴナを見やる。
「どうしたの? 何か気になる事が?」
「いや……」
自分に眠りが必要だったのか? というあるはずのない疑問と、そんな自分に眠りを促すラヴナの言葉が、自分がどこか妙に遠い場所にいるような不思議な感覚を呼び起こしている。
「眠り……」
「眠り?」
「おれには眠りが必要だったのかどうか? ある時からそれが必要なくなり、そんな言葉をかける者もいなかった気がする。それが、今の自分が妙に遠い所に来ているような気がしてな」
黙って聞いていたラヴナがやがてにんまりとほほ笑んだ。

「そりゃあそうでしょうよ」
「うん?」
「きっとそんな言葉をかける誰かが必要だったのよ、きっとね」
意味はよく分からないものの、妙に確信めいた微笑みに説明は必要なかった。
「まあ、明るくなるまで静かにしているさ」
頷くラヴナを後にし、ルインは暗い部屋の窓際に座ると静かに目を閉じた。
──聞くところによると、工人には宗教は無いものの、最初期の先達が彼らを見守っており、ギルドなどの代表者や、技量の特に優れた者は、幾つかの工人の都市の地下にある、霊界の工房に赴き、先達に伺いを立てるしきたりがあるのだという。
──カイラム・ジンシ著『工人とその歴史』より。
翌朝。『鉄の駿馬』の沿線、炭鉱の町ローンサ近くの野営地。
背後にウロンダリアの八つの古王国のうち、特に強大な先軍国家『バルドスタ戦教国』の控える私掠傭兵団の司令官たちは混乱していた。野営地の全員が妙に深い眠りから目覚めると、何者かが自分たちに魔法の力を用いて深い眠りにいざない、その間に重要な書類や武器を持ち去った可能性があった。
この野営地の集団を取りまとめている傭兵上がりの司令官は髪や髭が脂ぎった大柄な男で、部下たちの報告を面倒そうに確認した結果、やはり自分たちの機密がばれる証拠が幾つか持ち去られている事を確信し始めた。しかし同時にそれは、上へ正しく報告すれば厳しい責任の追及になるだけだ、とも考え始めた。
「どうしますか、お頭……いや司令官」
「そうさな……」
男は部下と共にひときわ高く見晴らしの良い岩に上った。この地域では珍しくない、炭鉱の町ローンサを目指すであろう移民たちの乗る、大トカゲの曳く幌つきの荷車が護衛の傭兵を伴いつつ何台か移動していく。
「いい方法があるぜ」
本来なら傭兵団の頭目の一人である司令官は、良いことを思いついたとばかりに下卑た笑いを浮かべた。部下の兵士もまた勝手を知っているのか、同じような笑いを浮かべる。
「何も馬鹿正直に対応する必要はねぇ。そうだろ?」
司令官は全員に向かうと、強硬偵察の必要があると説き始めた。何かを察してかうすら笑いを浮かべる兵士たちも多く、妙に慣れた動きで出撃の準備が整えられ始めた。
──わずか半日で現れては消えた国もあるほどに南方新王国の政情は不安定で、いつもどこかで戦争が起きている。高き地の国家を後ろ盾とした私掠傭兵団も数多いが、これは正規軍に見劣りのしないものから野盗と変わりないものまで、実に多岐にわたっている。
──軍事評論家ケイン・イヴァト著『南方新王国の私掠傭兵団』より。
炭鉱の町ローンサを目指す移民団を護衛する傭兵たちは先ほどから不穏な気配を感じ取っていた。自分たちの護衛する、移民たちとその家財道具一切を乗せた幌付きの馬車ならぬ蜥蜴車の集団。しかし岩の多い丘から突如として現れた柄のよくない兵士の集団が、この集団を意識しながらまるで軍事演習のように埃を上げて彼方へと走り去っていき、この集団の経路をふさぐように兵馬を展開させてとどまっている。それはまるで即席の関所のような雰囲気だった。
移民団の代表と傭兵たちはこの嫌な雰囲気に荷車の動きを止めて話し合う。この地域は緩衝地帯でいかなる勢力も軍事力を展開してはならない取り決めがあり、稀には宗教や神教の勢力が善意で移民や隊商を護衛することはあっても、それらはあの集団のように柄が悪いことはまずなかった。
どう見ても、どう考えてもろくな集団ではなく、嫌な予感しかしない。その結論に至った時、一人のみすぼらしい傭兵が名乗りを上げ、行く手をふさぐ集団にその意図を聞いてくることを申し出た。
移民団の代表と傭兵たちは、その男の様子を見てそれぞれがほぼ同じ気持ちを抱いた。名乗りをあげたみすぼらしい傭兵の装備はかなり古い革鎧で各所の革ひもや膠が綻び、持っている武器もヴァスモー族の肉切り包丁のような剣や、薪を割るような小さな手斧くらいでしかない。
ほぼ全員が何らかの懸念を抱き、それを口に出しかけた時、みすぼらしい傭兵は先んじて口を開いた。
「見ての通り、そう命が惜しい立場じゃない。おれがあいつらの目的を聞く。戻らなければあんたらは対処したらいい。問題が無ければそれでよし、おれが何らかの対処が出来たら少しだけ報酬を乗せてくれたらいい。それだけだ」
みすぼらしい傭兵の声には何らかの確信めいた響きがあり、確かに対応としても悪くはなく、移民団の代表と傭兵たちは、このみすぼらしい傭兵を謎の集団に向けて送り出す事となった。痩せた馬と共にみすぼらしい傭兵は何の気負いも感じさせない様子で関所のように展開した集団に近づいていき、やがてよく見えないほどの距離になった。
──緑肌の筋肉質で大柄なヴァスモー族は、自分たちの振り回す大きな刃物を『剣』とは呼ばない。それは『肉切り』『包丁』『肉切り包丁』などと呼ばれる。人間にもたまにこの武器の優れた使い手が存在している。
──インガルト・ワイトガル著『ウロンダリアの種族』より。
ヴァスモー族が好んで扱う戦闘用の包丁を背中に背負ったみすぼらしい傭兵は、少なくはない経験から目の前の集団に危険なものを感じ取っていた。南方新王国によくいる私掠傭兵団でも、おそらくは大国の意図が働いている集団らしく、その統制がよく効いている様子が兵士たちの並び方と空気から伝わってくる。南方新王国で殺し、戦い慣れている集団にはそう多くない体裁への理解。これが漂っている集団はいつも厄介だった。
みすぼらしい傭兵は考える。ここしばらくの旅で、知らない間にどこかの集団の導火線に火をつけるような、何か秘密に触れてしまった可能性を。しかし、それはどう考えても思い当たらなかった。その間に、話の出来る距離までたどり着いてしまう。
傭兵は痩せた愛馬を降りるとその尻を二度叩いた。賢い馬は馬首を返してゆっくりと来た方向へと歩く。その様子を見て、次に改めて目の前の不審な集団をよく見た。
明らかに安くはない軍馬に乗った頭目らしい男の、その戦場慣れした見下すような笑みが不吉な予感を強めた。その男が何かを吐き出して話す。
「よう、豪儀なこったな。ここまでの判断は悪くねぇが、どっちにしろ同じ事だ」
傭兵は無視して挨拶を返した。所属と集団、その目的地を、南方新王国での正式な口上で述べる。
笑顔で聞いていた頭目らしい男は笑顔をより強めたが、その目はぎらぎらとして不吉なものだった。
「正しい口上もありがとうよ。しかし残念だが、あんたらの仕事はここで終わりだ」
「どういう意味だ?」
傭兵は静かに、しかし強い圧で言葉を返す。頭目の男は残念そうに首を振ってにやにやと笑った。
「おれたちはとあるやんごとない大国の仕事をしてるんだが、残念なことにそのお国のかかわりを示すものが幾つか、食い詰めた奴らに盗まれて売りさばかれちまってなぁ。なので、とりあえずそいつらを罰してきっちりと対価を払ってもらったって報告をしなきゃならねぇ。あんたも傭兵なら、分かるだろ?」
「それはどういう……!」
「悪いな。話はここまでだ。やっちまえ!」
両脇からの卑怯な槍での攻撃を、傭兵は身のこなしと背中から肉切り包丁を抜く動作に絡めて弾き、後方に飛びさがった。
「そういう事かよ、卑怯者が! くそっ!」
気付いてくれ、という願いを込めて後ろを振り向くが、まだその様子はない。圧倒的多勢な傭兵たちは勢いづいて迫ってくる。しかし、何かがすさまじい速さで風を裂く音が響き、その集団の前に軽い地響きと共にどすりと青く輝く戦旗が突き刺さった。全員が呆気に取られた、その瞬間——頭上から勇ましい女の声が響く。
「余興それまで!」
「余興だぁ?」
——誰かが吐き捨てた。

意味が分からない。全員が空を見やった。あり得ないことに銀毛の馬にまたがった輝ける甲冑姿の女騎士が空のただなかにおり、使い込まれた見事な大剣を抜きはらっている。
「なんだあれは……」
誰ともなく口にする言葉は、全員が感じている事だった。
──荒野には様々な危険があるが、危機を救う神々しい姿の女の騎士か、または戦乙女の姿をした者には特に気をつけなくてはならない。それが堕落したジルデガーテなら、あなたは心臓をスープにされてしまうかもしれないからだ。
──コリン・プレンダル著『魔界淑女序列』より。
初稿2025.12.26


コメント