第八話 車窓の内外
南方新王国、資源生産国ケイメルテ。蒸気機関車『鉄の駿馬』内。
深い青色と少しの銀という色合いの制服を着た乗務員の案内によって、眠り人一行は特等の客室へと通された。磨かれた古木の内装は青を帯びた木を磨き抜いたもので、椅子などの布地は乗務員の制服のように深い青色をしている。
車内は品のある静寂に満ちているが、規則的な柔らかい振動と、窓の外の灌木がまばらな白茶けた平原が飛ぶように過ぎていく事から、これが『鉄の駿馬』の車内だと感じる事が出来ていた。
「深い青色は聖国エルナシーサのもの。私たち魔の国の色は深紫よ。国によって象徴する色があるの。覚えておいて損はないわ」
ルインの傍にたたずむラヴナが囁く。聞こえていたのか乗務員の説明が続いた。
「本来であれば魔の国の貴賓様専用の特等客室もありますが、今回はお忍びとの事で聖国の仕様の客室となります。仕様としては同格ですが、内装の色が異なります」
「ありがとう。まあこれで全然問題ないわ。この客室は南方新王国担当の枢機卿たちが乗る時のものでしょう?」
「そうです。ここ南方新王国は最近特に不安定になっておりまして、各国の枢機卿様が聖国と盛んに行き来しておりますから」
「でしょうね」
ラヴナは何らかの事情を知っているのかため息をつく。そんな空気を変えるように、乗務員は特等客室についての説明を丁寧に行い、その特別にして豪華な様子は一行の雰囲気を再び楽し気なものにした。大きな特等客室は一両貸し切り状態で、一階は個室や寝室、二階は眺めの良い食堂や秘匿した会話のできるサロンなどに仕切られている。
「サロンや個室は壁の中に鉛を用いており、魔法的な手段での盗聴は不可能な仕様となっております。この仕様は聖国の枢機卿様方にはとても重宝されております」
「鉛?」
「鉛には魔法を遮断する力があるのよ。施設によってはこうして鉛を用いている場所もあるわ。これも覚えておいてね」
再びラヴナが囁いてルインに微笑み、その視線を古き民であるセレッサに移す。
「あの子の話を聞くにも良い場所、という意味よ」
ルインは無言でセレッサを見て頷き、セレッサも黙ってこくりと一礼した。
乗務員は各部屋の説明を終えると、呼び出しがない限り自分たちは不干渉である旨を伝えて立ち去り、眠り女たちも部屋の割り当てを決めて立ち去り始めた。セレッサだけがルインの傍に寄る。
「ルイン殿、では私は後程お声がけして良いですか?」
「ああ、おれは特に用事もないしな」
「ありがとうございます」
セレッサは深々と礼をしつつ立ち去り、ルインもまた空いている個室の一つに向かうべく、一階へと降りる。そこにはいつもの黒いワンピース姿になったラヴナが待っていた。
「ルイン様の部屋は真ん中よ。入り口はあたしと一緒。聖国の枢機卿が使う部屋で、付き人や護衛も同じ入り口から出入りするの」
軽い足取りのラヴナについていったルインは、妙に分厚い扉をくぐっては落ち着いた内装の部屋へと入った。
「ルイン様はこの奥の部屋。名目上、護衛や付き人に該当するあたしは入り口側の部屋ね」
「同じ部屋という事か」
「そうだけど、何か不都合ある?」
「特には無いが」
「無い『が』?」
ラヴナはにやりとし、ルインの言いよどんだ部分を強めて聞き返した。
「男と同じ部屋だ。気にはならないのか?」
「あたしは全く。むしろ嬉しいけど? ルイン様に変な女が近づかないように番してるようなものだし。あ、変な女って眠り女の子たち以外って意味ね」
言いながら部屋の鍵を閉めると、内装に対してはやや簡素なベッドにふわりと腰かけた。
「それに、あたしだけではなく『眠り女』をした子はルイン様がどんな人かなんとなくわかっているのよ。変な接し方はしない人って。だから信用しているし……んー、正しくないな。もっと身近な、面倒くさくない感じ。だから警戒する必要も感じてないってわけ」
「そういうものか。ならあまり気にしないようにしよう」
「それがいいわ」
ラヴナは右手を開くと、黒い装丁の分厚い本を何もない空間から取り出し、膝を組んではその本を開いた。
「じゃ、ルイン様もゆっくりしたらいいわ。あたしに用事があったらいつでも声をかけて。誰かと話したかったらそうするのもいいし」
「ありがとう」
銀の丁番の輝くドアを開けると、景色が飛ぶように過ぎ去っていく大窓と、寝椅子にベッド、机に本棚と、それぞれが落ち着いた青い木材に格式のある彫刻のなされた仕様の個室になっていた。ルインは手荷物を寝椅子に置くと、黒い布に包んで持ち歩いていた黒曜石の武器、オーレイルを取り出した。今は剣の形をしているそれを手にして感覚を確かめる。
「間違いない」
違和感と共にルインの手にはこれとは違う、複数の良く手になじんだ武器の感覚が蘇ってきた。特になじんだ剣があった気がしてくる。それとともに、薄暗く赤い、灰と火の粉の舞う戦場のような記憶が思い出される気がした。
窓の外の灌木のまばらな平原は飛ぶように過ぎていく。しかしその景色はルインの目には映っていなかった。
激しく終わる事のない戦いと、尽きる事のない怒りの記憶が眠っている感覚。自分は何者でどこへ行こうとしているのか?
窓に赤く燃える二つの点が浮かび上がった気がして、ルインは景色によく目を凝らした。しかしそれはすぐに消えてしまい、自分の目が赤く光っていたのかとルインは訝しみ、部屋の小さな洗面台の鏡をのぞき込む。その眼は薄い茶色のままだった。
ルインは自分の記憶を思い出そうと目を閉じた。何も見えない深い深い闇と、その遥か底に燃える火のような怒り。それが自分の心だった気がしていた。しかし今は、その闇と火が深い海の底に沈んでいるように、暖かく柔らかな水のような何かがそれらを深く沈めている。それは自分の心には無かったはずの何かで、ルインは少しだけ戸惑った。その感覚を手繰ろうとすると、なぜか先ほど話したラヴナや眠り女たちの顔が思い浮かぶ。彼女たちの何かが自分を柔らかく抑えているような、そんな気がしていた。
しかしその感覚は嫌なものではなく、ルインは記憶が無くても眠り女たちの力になってやりたいという自分の気持ちに気付き、眠り女たちが自分にとって何かさらに秘められた大切な役目をこなしているようにも感じられていた。ラヴナがそうであるように、ルインにもまた彼女たちへの信頼がある事に気付く。それは、眠り女たちがみな個性的で魅力がある事とは別の確たるものだった。
ルインは再びオーレイルを手にする。形を自由に変える不思議な黒曜石の武器。それが今の自分の何かを暗示しているようにも感じられている。
(しばらくはそれぞれの眠り女たちの問題にとっての、最適な武器となれば良いか)
それ以上は考えようがなかった。
そこに、ノックの音とルシアの元気な声がし、対応したラヴナとルシアの何らかのやり取りが続く。
「ルイン様、ルシアが何か手伝う事は無いかって来てるわ。何かある?」
開いたままのドアから顔を出したラヴナが声をかけた。ルインはドアの向こうを見やる。好奇心とわずかの緊張が見えるルシアの目は輝いていた。
「セレッサの話を聞く予定になっていたんだ。場を整えてくれたら助かるな」
「分かりました! あとで呼びに来ますね!」
元気のよい足音が遠ざかり、しかしラヴナが少し含みのある静かさでドアを閉めた。
「ねえルイン様、気付いてる? あの子って、このウロンダリアの名付け親である覇王の直系の娘よね?」
「ああ、確かにそうなるな」
「西の大国、大プロマキス帝国は覇王ウロンダリウスの末裔である皇帝が元老院と共に治めている国よ。ただ、ここ二百年ほどは血が薄くなりすぎてお家騒動が続いてて、あまり良い状態ではないの。時を超えたあの子は聖国の承認によってはじめて現在の社会の一員になるけど、その血筋は何か大きな火種を呼ぶかもしれないわ。気を付けて」
ラヴナはこの話しの背後にある問題の厄介さが尋常ではない事を伝えたつもりだった。ルインは少し考えて、答える。
「彼の兄、セラクは立派な男だった。その約束は守るさ」
ルインの静かな返事はその厄介さをものともしないような確固たる何かが漂っている。その様子に、ラヴナはある事を思い出してふと微笑んだ。
「ま、一応頭に入れておいて」
ルインは無言で頷いた。
──聖国の枢機卿たちは国家として承認を受けた国に最低でも一人は任命され、国土の広さや人口によってその数は国により異なっている。彼らの役割は聖国に伝わる教えに基づいて、ウロンダリアの時の流れを緩やかに、穏やかにする事だとされている。
──枢機卿レイフ・リスゴー著『枢機卿の責務』より。
聖国の枢機卿が密談に用いるという一階の客室は、青い木の木目に沿って銀の筋が走り、窓からの光で淡く冷たく光っている。そんな特別な様式の部屋で、ルインは衰退した古き民の王族とされる眠り女、セレッサと話す場についていた。この場を設ける手伝いをしたルシアが挨拶をして部屋を出ると、緑のフードをはいだセレッサが部屋を見回してはため息をつく。
「青銀木でしつらえられた、聖国の枢機卿御用達の部屋ですか。しかしあの方たちは私たち古き民の問題にはほとんど対応してくれません。歴史的に仕方ないとは理解しているのですが、私たちもこのウロンダリアの民なのに。でも……」
セレッサは絶句してテーブルに突っ伏してしまった。
「大丈夫か?」
「……ふぅ、やっとこの日が来ました。兄からの追手や古き民をさらおうとする人間たちに怯え続ける日々を超えて……!」
何か言葉をかけるべきかルインが思案している間に、セレッサは勢いよく顔を上げた。その顔は何かが吹っ切れたような笑顔だった。
「命がけで逃げてきて眠り女になった時に、チェルシーさんが言っていたのです。男の人の夢の中に入るのは、最悪の場合は問答無用で手籠めにされてしまうような思いをする事になるかも、と。でも、全然そんな事は無かったです。心地よく安心できる世界が広がっていたんです。そして今はこうしてお会いして話すことができる。花の精たちが言っていたんです。ルイン殿は私の運命を変えられると」
セレッサの話の一部に、ルインの知らない情報が含まれていた。
「問答無用で手籠め? みんなそんな覚悟で『眠り女』をしていたのか?」
ルインの問いにセレッサははっと驚いた顔をした。
「あっ、少なくとも私はそう説明を受けましたし、その覚悟もあってルイン殿の夢の世界に入りました。あくまで最悪の場合、想定外の場合と説明されましたけどね。しかし、誰もひどい目には遭いませんでした。寂しくて暖かな景色の広がる、とても安心できる世界が広がっていただけです」
ルインは色々とチェルシーに聞く必要を感じたが、それは口にも顔にも出さなかった。
「君が兄に売り飛ばされそうになり、必死に逃げてきたのは知っている。君ら古き民に対して、人間はろくに対応してくれないのか?」
「私たちにはだいぶ規模の衰えた、人間たちとは別の社会があります。しかしそれが、人間たちが私たちをあまり尊重しなくても良い根拠になっている面があります。人間たちの法が適用され難いのです。遠い昔に私たちの先祖が人間たち相手に戦争を仕掛け、やがて人間たちが劣勢を覆して私たちを破ったからですね。この大戦は『翡翠戦争』と呼ばれています。私たち古き民と人間の断絶の始まりですね」
「以降、怨恨というよりは習慣的に融和できない人々がいる、という事か」
「私たちの側には、種族の由緒を鼻にかけて人間を見下している者も少なくないですから。この劣勢でそれが悪手だと理解していてもやめられない者もいます。しかも影響力のある古い家格の者に特に。私の兄もそうでしたから」
「それは確かに賢い態度とは言い難いな。君らは整って美しく、何らかの祝福がある種族だそうだが、人間の蛮性はそのような物に強い。これは同じ人間の種族同士でも起こりえる事だ。文明的になり過ぎて勢いを失った者たちは、そうでない者たちに弱い」
「その通りです。現に私たちは多くの他の世界でも劣勢であったり、滅んだりしているようです。私たちが行き来できる別の世界、妖精界には時の流れも曖昧に多くの先人や賢者がおられ、このウロンダリアのみならず、その外つ世界でも似たような傾向だと聞きました。かつてはとても神々に愛された種族だったはずなのに」
「なぜそうなっている?」
「詳しくは分かりません。しかし、私たちの先祖の誰かが世界の理たる『律』に背き、本来ならずっと続くはずだった私たちの時代がその罪により衰退を余儀なくされ、それを哀れんだ神々が私たちの時代を『妖精界』の奥に切り離したとされています。そこは夜の世界または旧世界と呼ばれる地で、そこに行けば詳細も分かるかもしれませんが」
旧世界、律、夜の世界という言葉が、それぞれ強くルインの失われた記憶のどこかに引っかかる感覚があった。しばらく忘れていた、ひそやかな夜の花の香り。いずこかの夜の庭園で銀の椅子に座り微笑む誰か。それはセレッサとよく似た肌や髪の色をしており、しかし遥かに厳かで、そして親し気だった。
──このとこしえの夜の庭で私の話を聞いてくれるのは、次なる時代の方でしたか。
人には無い上品さに微笑む口元。しかし、その顔は思い出せず、ルインは記憶の誰かと同じ種族であろうセレッサを見つめている形になっていた。
「どうしました、ルイン殿?」
「今の話、おれの記憶の中の誰かとかかわりがある気がしたんだ。君とよく似ている誰かだ。気のせいとは思えない気がする」
「何ですって?」
今度はセレッサがルインの顔をまじまじと見つめた。その宝石のような目に一瞬だけ淡い光が揺らぐ。
「ルイン殿の佇まいや空気には、精霊に嫌われない静かな調和があります。私たちと関われる人間たちは大抵それを持っています。もしかしたらルイン殿は以前、私たち古き民とかかわりがあったのかもしれません。でもそれだと……」
セレッサの表情が曇った。
「何か問題が?」
「私たちはとても寿命が長く、もしもルイン殿が過去にどこかで私と同族の女性と仲良くなっていたとしたら、その人は今でもルイン殿を慕い、探しているかもしれません。そうなると、私がこれから持ち掛ける話は少し良くないのかなと」
「どのような話をしようと?」
「今の私は兄の仕組んだ人身売買で多額のお金が絡んだ身です、そうでなくとも私たち古き民の、特に貴種の女は人間たちの裏社会では高値で取引されます。この南方新王国で小さな国を買えるくらいには。ですので……」
セレッサは胸に手を当てて呼吸を整え、決意のこもった目をルインに合わせた。
「ルイン殿の側仕えをしている事にしてほしいのです。いえ、実際に側仕えという事にしていただいても構いません」
セレッサの言葉の終わりは柔らかな笑みに満ちていた。しかし、ルインの表情は変わらず、むしろ腕を組んで少し考えこんだ。改めてみるととても筋肉の発達した腕や肩をしている人だ、とセレッサは思う。その腕の先、この後の話によっては近い将来自分の肌に触れるであろう手は隠れて見えない。
「表向き、側仕えという事で君がおれと関係がある、品のない言い方をするなら傷物になり、かつその繋がりで君に手を伸ばさんとする者たちの動機を薄くしたい、という意味だな?」
「はい」
「それは問題ない。しかし実際に側仕えというのは本当に関係を持つという事だろう? そんな無理はする必要がない。おれは君をよく知らないし、苦境に陥ってる女の諦めに近い覚悟に便乗する気はない。まあ、気楽にやってくれ」
セレッサの目と口が驚きで丸くなり、絶句している様子にルインは微笑んだ。
「どういう反応だ?」
「実はこの話、チェルシーさんにも許可を得てお話しているのです。でも、きっとこんな風に断られると笑って言っていたそのままで、とても驚いています。私たち古き民の女の肌を欲しがる人はとても多いのに。……いえ、でもきっとそういう方なのですね、ルイン殿は。むしろ私は覚悟が決まったような気もしてきます」
セレッサの笑顔が寂しげな決意の漂うものに変わり、何かを察したルインはそれを止めるように話を続けた。
「少し誤解があるな。積極的に協力する考えだ。ほど良く線を引いて関わらない、という意味ではない。現時点では君の申し出は過剰に過ぎる、という意味だ。覚悟は理解したから協力をしたいと考えている。何がしたい?」
「ちょっと、ちょっと待ってください!」
セレッサは先ほどに続き、今度は何か探るように胸に手を当てて、しばらく呼吸を整えていた。
「今までが今までだったので、何だか混乱しています。ルイン殿は本当に私に自由を与えようとしているようですね。見返りも求めずに」
「まだ言葉だけで何も行動していない。気恥ずかしくなるからよしてくれ。むしろ色々と聞かせてほしい」
「分かりました! ルイン殿は私にとっては間違いなく伝説的な『眠り人』の格をお持ちのようですね。では、この地における私たち古き民の状況と、私の近況について話させていただきますね」
「ああ、宜しく頼む」
ルインは多くの困難を伴うであろうそれに、期待と好奇心しかない自分の異常さに気付いていなかった。
──古き民の女を一人さらえば半年遊べ、二人さらえば駿馬が買える。三人さらえば家が建ち、四人さらえば牧場主。五人さらえば大地主。六人さらえば貴族様。王族さらえば、いつかなれるぞ王様に。
──南方新王国の盗賊の数え歌より。

初稿2020.02.28 改稿2025.09.11
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